MinorityReport

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人と違う自分を隠している人を応援するブログ。三人のひねくれ者たちが、競馬、旅、新たに始める趣味、馬鹿なことを通して少数派になることを恐れずに生きていくことのススメ(Minority Report)を発信していくブログです。

長崎のススメ ~休学第2弾~

ショウです。早いもので、もう二月がこんにちはしてはりますね。

放浪を終えてとっくに一年たつのかと思うと背筋が凍ります。

 

乳搾りで稼いだお金握りしめてチャリで北海道を爆走した僕は、

電車や車、バスの力を借りながらどうにか美瑛にたどり着きました。

そこで数日間の儚い沈没生活を経たのちに

飛行機で関西に帰還したのが2014年の7月上旬のこと。

 

この沈没の話もいずれ軽く書きたいとは思いますが、

今回はちょっと飛ばして、長崎滞在記を書いてみました。

先日の雪の報道で懐かしくなってね。

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将来何らかの形で長崎と関わりたい!ってくらいに長崎が好きになった僕の、

ほんの2週間の思い出語りにお付き合いくださいまし…。

 

 

 

 

 

2014年、夏。小倉のとある喫茶店にて。

休みに帰省していた高校時代の友人と、近況報告を交わしながらカツ丼を貪っていた。

彼はどうやら無鉄砲な放浪旅を面白がってくれていたらしく、

「次はどこに行くんだ」「何の仕事をするんだ」と熱心に僕の計画を聞いてくれた。

次どうするか全く決めてないと答えると、どこか嬉しそうにしながら、

「長崎に来るなら、イベントスタッフのバイトを紹介できる。」と言った。

更には「その間は俺の家に居候してもらって構わない。」という。

 

ちょうどその時の僕は、北海道暮らしのツケが回ってきており驚くほどに金欠だった。

カードの支払いや、さらに次の場所へ行くための資金調達を画策していた僕にとって、

願ってもない申し出だった。

 

 

僕の放浪旅の二つ目の目的地は、導かれるようにして長崎へと決まった。

 

 

僕にとって長崎は、憧れのまちの一つである。

家族旅行で行ったのが最後だったか、それとも小学校の修学旅行か。

いずれにせよ、かれこれ十年近く訪れることのなかった場所。

古くから外国との窓口であった長崎は、

各県がそれぞれ強い個性を持つ九州の中でも特に存在感のあるまちだと思う。

 

 

入り組んだ湾を覗き込むようにして連なる家々。

路地裏の階段を上り、曲がりくねった狭い道路に出れば、

大型バスとワゴン車が何事もなかったかのようにすれ違う。

 

坂を下り、大通りに出れば、昭和の姿をそのまま映し出したような路面電車が行き交う。

ずいぶん下ったはずなのに、幾度となく上り下りを繰り返す。

 

路面電車の車窓を流れる街並みは、ヨーロッパなのかアジアなのか。

いや、おそらくこれが南蛮の国の景色なのだろう。

はるか海の向こうに夢見た南蛮の国は、ここにあった。

 

この街は、夜に真価を発揮する。

それほど標高の高くない山を登れば、世界に誇る夜景がある。

稲佐の山を囲うように海と街が広がる。

外国船の灯火が水面に踊り、どこまでも続くテールランプさえ、手の届きそうな距離で瞬く。

見下ろすはずの夜景を、なんとなく見上げているような気分になる。

向かいにそびえる民家の明かりや、海の暗闇がそう錯覚させるのかもしれない。

 

長崎の夜は、夜景だけではない。

夜景に映る一つ一つが、賑わいの明かりなのだ。

人々は夜になるといつもご機嫌で、

昔ながらの「まち」には、アジアの屋台を彷彿させる味わいがある。

 

帰り道は、雨。

石畳に染み入る雨粒は、夏の火照りと共に流れゆく。

傘に激しく当たる雨音が、耳元で静かにこだまする。

 

一人の帰り道が、いつになく侘しい。

祭りのあとのような虚しさを踏みしめながら、明日の天気を見て肩を落とす。

今日も雨だった。

 

そんな街、長崎。

都会的な、洗練された空気があるわけではない。

レトロな華やぎと、心なしか漂う侘しさ。

そのバランスが、僕の心をとらえた。

そんな街で、少しの期間でも暮らせることに胸が躍った。

 

 

2014年、7月末。長崎。

思案橋を越え、正覚寺下という路面電車の駅から坂を上ったところに友人の家はあった。

山肌にひしめき合う家々を縫うように、急角度の階段を昇っていく。

八畳の部屋の隅で、ソファにうずもれて暮らすのも悪くない。

早速次の日から仕事である。イベントスタッフの仕事内容もさほど把握していない。

しかし、まぁなんとでもなるだろう。

 

 

思案橋で餃子とニラ玉を食う。

油で光るテーブルの上に、乱雑に山に盛られた餃子が置かれる。

小ぶりな餃子を掴む箸の勢いは、弱まることがない。

向かいの友人は、三杯目のビールを頼んだようだ。

ニラ玉にソースをかけて食べるのは初めてだった。

これが意外なまでに合う。

ソースの程よい酸味とニラの独特の香りが舌をくすぐる。

器に残ったソースと半熟の卵液を、白いご飯の上にかけても美味しく頂ける。

 

 

腹を満たして家路へ着く。

喧騒を背にするのはとても寂しい。

それもまた一興である。

この名残惜しさが、再びあの場所へと僕を導く。

そう感じながら眠りにつくのであった。

 

 

翌日以降は忙殺された。

稲佐山の野外ステージでのライブ、ブリックホールでのライブや講演など様々だった。

驚いたのは、スタッフがことごとく同年代だったことだ。

学生が中心メンバーとして活躍している。

派遣会社を介在させずに、学生自身が人員を募集する形だった。

仕事内容自体はハードなものだったが、皆が熱心にコミットしていたのが印象的だった。

部活のノリ、だったのかもしれない。

仕事で稼いだお金を持ってそのまま飲みに行くこともあるようだ。

街の賑わいの理由がひとつ、わかったような気がした。

 

 

休みの日は専ら観光をした。

友人の車で市内を廻ることもあったし、佐世保の方まで足を伸ばしたこともあった。

佐世保では、友人御用達の「カヤ」佐世保バーガーを食べた。

大きめのバンズから、肉汁が滴る。

慌てて食べれば、中身がすべて落ちてしまいそうだ。

慎重に、でも大きく口を開けて頬張る。

肉の味がガツンと来るが、胃に重さはない。

指の先を舐りたくなるのをこらえて、隣のスーパーのトイレで手を洗う。

 

 

九十九島を眺める。多島美という言葉がある。

海に浮かぶ無数の島々や、その間をくぐる船。

そして沖に見える養殖の網を照らす夕日。

遠くでトビと海猫の鳴き声がこだまする。

その情景を、多島美という。

これは、どこにでもある景色ではない。

島の多い日本においても、限られたところでしか見られない。

目に焼き付けて、その場を後にした。

 

 

そうこうしている内に、長崎での暮らしが幕を閉じた。

二度台風に見舞われたこと。

出島で海鮮丼を食べたこと。

お化け役の仕事をしたこと。

いろんな経験が詰まった二週間だった。

 

 

気軽に行けはしない距離だが、またいずれ訪れたいと思う。

そしてまた、暮らしたい。

祭りのようなあの街での暮らしに戻りたい。

この一年間で幾度となく思った。